作家 小林大悟のことばメモ。毎週金曜更新

【ラベル説明】
「制作の外縁」・・・制作や表現活動に関するはなし
「雑文」・・・思ったこと、つれづればなし

【作家HP】

2018年10月12日金曜日

オムニバス(2)

先週に続き、書きかけた文章の連続。 自分の制作活動にまつわ
る断片。全て9月のメモ。 観た展覧会のこと、読んだ本のこと、
仕事でのこと。 どれも今まで意識的に書こうとしなかった題材
、かつ感覚的な領域で言葉足らずだなと並べてみて、気がついた。 


【あの何か】
東京国立博物館の縄文展をみにいって改めて思ったこと。 縄文
に限らないけれど博物館に飾られている出土品の類は 時折もの
すごく創作意欲を掻き立てられるものがある。 美術”作品”にも
すごいなーって思うものはたくさんあるけれど 妙な興奮を味わ
うものはなかなかない。縄文展では久々にそう いった展示物に
遭遇できた。

思い返せば卒業制作は東博にある「陶棺」と「鴟尾」をモチーフ
に描いた。 それらも強烈な「何か」を感じたから。 今は動物を
モチーフに描く事が多いものの、つくり上げたい 絵の「手触り」
というか「皮膚感覚」は、心惹かれる出土品から感じる「あの何
か」を目指している気がする。

こんな事を書いたところで意味不明だと思う。 出土品を写実的に
かいたり、似たような立体作品をつくりたくなる 訳でもないので、
そもそも「意味」を伝えたいのではないの かなとも思う。あそこ
から感じる魅力的な「あの何か」を換骨奪胎して 作品がつくれた
ら良いなと密かに思っている。


【マティス】
制作している合間に画家の記した本や批評の本を読むと 自分のふ
わふわとした立ち振る故に、気持ちが大きく 揺さぶられてしまう
ので、なるべく避けている。 (故に不勉強が募る一方な気も……) 

そんな自分が珍しく、制作しながらも読み進めていたのが 「マティ
ス 画家のノート」。生前のインタビューや知人にあてた 手紙など
あらゆるマティスのあらゆる言葉を集めた記録集である。

マティスの作品には前々から惹かれてはいたものの、本人の言葉に
触れる機会はなかったのと書店で目にした際に「この本には”何か”
ある気がする」と直感がうずいたので、手にとってみた。

読み進めると今の自分の考え方や興味と似ている点が多く、もわも
わと 感じていたものの、言語化できていなかった感情を適切な言葉
で表現していたり、まるで今の自分のために復刊されたのではない
かと思ってしまうほど。 

マティス本人はもちろん、出版社並びに編者に翻訳者、出版に携わっ
た人々 全てに感謝。そんな書籍は中身の良さもさることながら、手
にとるタイミング がにも恵まれていないといけない。


【八分の一ブレラ】
職場にブレラ美術芸術学院の先生がいらして、講義とワークショップ
をして下さった。その場に立ち会っていたのだけれど、授業の内容が
とても面白く、 しかも長年疑問を持っていたけれどうまく言語化でき
なかった領域のお話だったので、心の奥底でひっそりと興奮していた。


ワークショップは、ブレラ美術芸術学院の1年生が教わる授業方法と同
じもの。赤・青・黄の3色だけを用いて、水彩紙に自由に描いていく。
描くといっても、頭の中に浮かべたイメージをかき写すのではなくて、
絵の上に広がった絵の具の色から触発されるままに、描いていく。 素
人目(便宜上、日常絵をあまり描かない人という意味で使います)で
みると、幼児の絵の具遊びに近い。描いている当人は絵の具の広がり、
滲み、組み合わせとじっくり対話しながら、次に色や筆の動きを検討
していく。1時間後、10名近い学生が同じ条件で描いたにも関わらず、
できあがったそれぞれの作品は、まさに十人十色ではっきりと個性が
でていた。 

先生はできあがった作品をその人の「言語」と仰っていたが、まさに
作品を通じて本人すら意識しないような 自己紹介をしていた。しかも、
とても肯定的な。 ブレラの学生はワークショップと同じ内容の「色の
探求」を1年間かけて 徹底的に行うそうだ。最初は訳がわからなくて
も、作品が山のように積み上がった頃には自分の「色」(=言語)が
みつかるのだとか。 

ブレラ流の「色の探求」について聞いた時、ああ、自分はコラージュ
を通じて 自分の「色」を探そうとしていたのだと気がついた。遠回り
なやり方だったけれど無駄ではなかったと気付いてちょっと励みになっ
た。その必要を感じていた自分は偉いなと 自分を褒めつつ、まだまだ
足りないのでブレラのやり方を取り入れてみようと考えた。 

家に帰って早速やって見ると、実に楽しい。1年間毎日「これだけ続
ける」わけにはいかないけれど、毎日1時間くらいはできそうだ。 ブ
レラの学生がどんな環境でどんな時間をかけて描いているかまではわ
からないけれど、1日8時間描いていると仮定して「八分の一ブレラ」
に通おう。 

2018年10月4日木曜日

オムニバス(1)



まとまらない文章がたくさんたまってしまった。寝かせておけ
ばいつかまとまるかなときたいすると、そんなこともなく、か
といって一向にかきかけは形にならないい。そこで、今はそう
いう時期なのだと割り切り書きかけだった断片をコンパクトに
まとめ、オムニバス形式で載せてみようと試みました。コンパ
クトにはまとめられるということは、ただただ、カッコつけて
大きなこと語ろうとしすぎなのかもしれない。まだまだいっぱ
いあるけれど、いつもの文章量を目安に3つだけ。

【ニッチな喪失感】
近所の美術書が豊富な古書店さんが近々閉店に。セールをきき
つけ慌てて気になる本を買い漁ったものの、後々家で確認して
みたら、どれもこれもどんなに値下げされても早々売れないよ
うな、ニッチな本ばかり。けれども、「まあそうそう誰も買わ
ないだろう」と思っていた古本が、いざ買おうと思った時に、
誰かに買われてしまった時の喪失感は大きい。その喪失感は、
結構尾をひくのだ。欲しくて買ったというより、喪失感に怯え
て買わされてしまったのかもしれない。

【素直な素朴さ】
全部が全部じゃないけれど、自分は人から言われたことをわ
かし素直に受け入れる。そういえば「こうしてみたら?」とア
ドバイスされたことをとにかく一旦受け入れてみる、って素直
な人は案外少ないなあと思う。自分は言われたことをひとまず
やってアドバイスをくれた人の期待に応えようとして、思った
ようになれば御の字、ならなかった時にアドバイスとの“ズレ”
が生じてもそれはそれで貴重だなと思っている。自分の場合よ
く”ズレ”が生じるけど、その”ズレ”はアドバイスをくれなけ
ば気づけなかった”ズレ”であり、自分だからこそ生じる”ズレ”。
つまり他人と自分との共同生産物。唯一無二かつ二人三脚でつ
かんだ”ズレ”なのである。

【ノスタルジーがまん】
大した年齢ではないけれど、歳を重ねるにつれて「あったあっ
た!」「懐かしい!」というものが増えていく。「あの頃」を
思い返してノスタルジーに浸る。心地よい。共有できる人が多
いとなお心地よいし盛り上がる。ノスタルジーに浸ることは否
定しないけれども、あまりにもお手軽に心地よすぎるなと時々
思う。心地よすぎるあまり、ノスタルジーの色眼鏡がかかって
しまうものからは、心地よさ以上の栄養素が殆どとれないので
はと思ってしまう。
結論:ノスタルジーはパーティーグッズであり、バラエティ番
組である


2018年9月28日金曜日

お気に入り(未定)


先日、何かの拍子に思ったこと。「この作品はわたしのお気に
入りです」と言える自作がない。というか考えたことがあまり
ない。

とはいえ、つくったものに対して(満足いくいかないはあるも
のの)嫌悪感を抱いるわけではない。ただ、自分の作品と接す
る態度が「まぁ悪くはないな」とか「良いのではないかな」な
んて具合に、ちょっと斜に構えていて偉そうなのだ。

対して人の作品を鑑賞するときは「良いなぁ」「好きだな」と
素直な気持ちでみている。それなのに身内(?)にはこのツン
とした態度。自画自賛が過ぎると甘々のでろんでろんな、みれ
たものではない作品を生み出す恐れはあるが、それでももう少
し素直な気持ちで自分の作品と向き合っても良いのではないか。

ここまで自問して、斜に構えた接し方は作品を人様へ「献上」
するのだという責任意識を持っていて、他方で自分の作品を「
好き」だと思える接し方は、好きなものを人へ「おすそ分け」
する共有意識を持っているのではなかろうかと思った。大げさ
で極端かもしれないけれど、「作品」というものをどう捉えて
いるかにも通じそうで興味深い。もう少し考えてみたい。

……とにかく。作品を前にして「好きかな?気に入れるかな?」
と自分の感情に問いかける時間を設けてみようと思う。お気に
入りをつくろうと意気込むのではなく、見出そうとする気持ち
を持つ、些細なことのようでいて、とっても大事な気もします。